時を隔て、過去の人々の暮らしや社会の営みの様子を今に伝える記録。文化財として貴重な価値を持つ古文書が、その歴史の中で幾多の災難をくぐり抜けて現在まで伝わってきたのと同様に、今私たちの身の回りにある大切な記録を地震や水害、火災からどう守るのかは重要なテーマだ。

復興のよりどころに

 2011年の東日本大震災で、旧家の土蔵にあった多くの古文書や民俗資料は津波で流され、あるいは被災建物の建て替えとともに廃棄された。しかし復興の歩みの中で、地域のよりどころとなる古文書の存在に光が当たっている。

 震災の8年前。NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク(仙台市)は2003年の宮城県北部連続地震を機に、東北大の歴史研究者らが立ち上げた。被災した建物や蔵などと一緒に、文化財未指定の古文書が廃棄・散逸してしまう苦い経験があった。

 同ネットワーク事務局の佐藤大介・東北大災害科学国際研究所准教授たちは、誰のところにどんな古い資料が眠っているのか、リスト作りから始めた。「地元の人たちや行政と一緒に、古文書を現場でデジタル写真に撮影していきます。市民の力をどう借りるか。読めない古文書も、関わると読みたくなり、所有者にも地域にとっても大事なものになってくる」。撮影を終えた原本は中性紙に入れ所有者に返す「宮城方式」だ。

 同ネットワークは沿岸部など約400軒を調査し所在調査していた。東日本大震災で多くの原本が失われたが、デジタル撮影やリスト化が生きた。まちの姿は一変したが、佐藤准教授は「先祖が暮らしてきた農漁村、歩いた道、山。ピンチの時にどう立ち直ってきたのか。地元の歴史を再生のよりどころにしたい」と、歴史資料の新しい社会的役割を訴えている。

 同ネットワークのホームページでは、市民が歴史資料保全活動に参加しやすいように改訂を重ねた「デジタルカメラによる文書資料撮影の手引き」を公開している。問い合わせは宮城歴史資料保全ネットワークTEL022(752)2143。

百合文書 受難も記録

 京都や滋賀には数多くの文化財が残るが、たびたび火難に遭ってきた。このほど国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に登録された東寺百合文書(国宝)。奈良時代からおよそ千年間の文書は、火災や戦乱、盗難の痕跡をとどめている。

 1322年に八条大宮の土地を東寺・御影(みえい)堂に寄進したことを記す比丘尼西妙(さいみょう)田地寄進状は1403年の火事にあった。この火事で土地の権利書など多数が焼けたと当時の記録にあり、一部を焦がしながら辛くも焼け残った寄進状は、どれほどの幸運に助けられたことだろう。

 東寺に残る東宝記には、1379年に御影堂などを焼失した火事で、僧侶らが走り回って仏像や弘法大師像、経典、文書を避難させたとある。京都府立総合資料館の岡本隆明さんは「今でこそ消防車に火を消してもらう感覚だが、もしかすると中世の人は火事を身近な危険として、きちんと備えていたのかもしれない」と推測する。

保存模索 京都でも

 京都府と京都市による「文化財所有者のための防災対策マニュアル」は炎センサーなど設備向上とともに、住民も参加する文化財レスキュー訓練を提唱している。関西では1995年の阪神・淡路大震災で未指定文化財の被災が相次ぎ、民間ボランティアらが文化財レスキュー事業を始めた。

 京都府教育委員会によると、府内の未指定文化財のリスト化は進んでいない。府立総合資料館や京都市などの文化財関係者は昨年8月、「文化資源情報ネットワーク会議」を開き、防災も目的に、所在情報データベースの構築を討議した。

大切な資料 木箱に

 被災文化財の保存修理に詳しい内田俊秀・京都造形芸術大教授の話 大切な資料は木箱に入れて残しておくことが大事。水害や地震に強く、一定の火災にも耐えられる。建物の2階に保管し、中に何が入っているかを外側に記載しておくと、災害時にも迅速に対応できる。

【2015年10月27日(火)付京都新聞朝刊より】